はじめに
1971年3月にリリースされた尾崎紀世彦さんの名曲「また逢う日まで」。
一度聴いたら忘れられない、特徴的なイントロと圧倒的な歌唱力を持ち合わせたこの曲は、シングル売上100万枚を超え、カラオケの定番曲となりました。
そこで今回は、語り継がれる名曲「また逢う日まで」の歌詞について考察していきたいと思います!
といっても筆者は2004年生まれなので、若者の一考察として受け取ってもらえると幸いです!

タイトルの意味
「また逢う日まで」のタイトルにある、「逢う」という漢字には”大切な人との対面”という意味があります。この曲では2人という言葉が多く使われているといった点から、この曲は「恋人との別れの瞬間」にフォーカスした曲だと思われます。
歌詞1番
また逢う日まで逢える時まで別れのそのわけは話したくない
なぜか寂しいだけ
なぜかむなしいだけ
互いに傷つきすべてをなくすから
ここで言う「別れ」は恋人との別れを指していると思われます。
では、なぜこの人は別れる理由を相手に伝えたくなかったのでしょうか。
それは最後に別れる理由を言い合うと、寂しいや虚しい気持ちだけが残ってしまい、2人の楽しい思い出までもを無くしてしまうから。
とにかく最後は悲しいことを言い合わないで別れようという、別れをできる限りポジティブに捉えようとしています。
現代の若者世代にも共感できそうな歌詞だなぁと感じます。
ふたりでドアを閉めて
ふたりで名前消して
その時心は何かを話すだろう。
ふたりでドアを閉めるという事は、一緒に暮らしてきた生活を終わりにするということ。
また、
ふたりで名前を消すという事は、今までふたりを繋げてきた名前(苗字)も別々にするという事なのではないでしょうか。
共同生活を終え、また、ふたりを繋げてきた名前も消すとなった時、自分の心は本当の何かを話すだろうと、彼は考えています。
歌詞2番
また逢う日までまえる時まで貴方はどこにいて何をしているの
それは知りたくない
それはききたくない
互いに気遣い昨日に戻るから
「これから、あなたはどこで何をしていくのか」、そのことが一度気になってしまうと、互いに気遣って、昨日までの生活に戻ってしまう。つまりは別れずにこのままダラダラと生活を続けてしまう。
もしかすると、互いに相手を想う気持ちがあるものの、このままの生活を続けていくことは、互いにとって良くないと考えた末での別れだったのではないでしょうか。(それぞれに夢があったとか)
ふたりでドアを閉めて
ふたりで名前消して
その時心は何かを話すだろう。ふたりでドアを閉めて
ふたりで名前消して
その時心は何かを話すだろう。
このようにして最後はサビが2つ続いてこの曲は終わります。
まとめ
尾崎紀世彦さんの歌声は力強さとビブラートを兼ね合わせていて、力強いけど繊細なこの歌詞にとてもマッチしているなと感じます。
「また逢う日まで」は、少ない文章で、大抵のことは聞き手の想像に任せるといった如何にも日本らしい手法を用いて、今でも愛される曲になったのだと思います。

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